前作は中学生の時に観て世界が変わった映画でした。レプリカント(アンドロイド)を作った人間が、その脅威に晒される2019年の設定。当時はSFの世界でしたが30余年を経過して、AIとロボットが現実となってきている現代となり、原作の先見性に驚かされます。あまりネタバレしない程度に記事に残していこうと思います。
前作へのリスペクト感
今回は「メッセージ」と手がけたドゥニ・ヴィルヌーヴが監督で制作されています。(前作はリドリー・スコットが監督で制作)映像の色使い、前作を彷彿とさせるシーンまで取り入れられていて、この映画タイトルへの監督の愛着を感じます。
映画は前作、30年後の設定で新型のレプリカントは開発されるものの、旧型の残党を見つけ出し抹殺するブレードランナーという職業は、健在する世界観が描かれています。
レプリカントとネクサス
劇中では、人間によって作り出された人型のアンドロイド(レプリカント)が登場します。レプリカントにはシリーズ名があり、その名も「ネクサス」。
アンドロイド、ネクサス、聞いたことありますよね。あと30年後には本当にレプリカントと人類は共存しているのかもしれません。
誰が人間で、誰がレプリカント?
前作の主人公のデッカード捜査官意外は、誰が人間で、誰がレプリカントなのかストーリーをよく観ていないと分からなくなります。この「知る」というのが映画のテーマになっていて、各シーンでチラ見せされる小物が布石となって、「レプリカントは子孫が残せるのか?」という疑問に答えを出してくれる作りになっています。
そもそも、ハリソン・フォード演じる「デッカード」ですら、人間だったのか、それともレプリカントだったのか、分からないまま前作は終わってしまいます。
だた1つ今回のブレードランナー「K」は、劇中で分かるのですが正真正銘レプリカントです。
知る覚悟はあるか
映画ポスターにもある「知る覚悟はあるか」。確かに実世界でも「知らなくても良いこと」はあります。しかし、そんな「知らない方が幸せなこと」でも知ろうとしてしまうところに人間臭さがあります。
知ってしまって凹むことも辞せずに人間は求めてしまいますが、レプリカントであるはずの「K」も劇中では知りたがります。
まさに人間臭さがアンドロイドにも実装されているのです。このあたりは現代でいうAIやディープラーニングの世界に通じるものがありました。
デッカードはレプリカントなのか?
この疑問は劇場で見てください。ネットを検索すれば、前作の公開終了後に様々な見方や見解がヒットすると思います。しかし、映画の中では(個人的見解)モヤモヤしたまま終わったと思います。
同じように個人的見解としては、今作も同じような感じで終了した気がしています。1度しか観ていないので、重要なシーンを見逃がしているかもしれません。
ポスターなどのビジュアルから言えることは、前作より頭髪や顔のシワ、体系などはかなり変化(当たり前ですが)しているのでレプリカントではなく人間とも捉えることもできます。
パーツ交換や皮膚パーツの経年劣化で、毛髪やシワも再現されて居るという設定であれば、闇の中です(笑)
まとめ
前半戦は、ライアン・ゴズリングの軽妙かつ繊細な演技に魅了されて後半戦は、ハリソン・フォードの重厚で渋い演技が加わり、最後の謎に辿り着くまで、2時間超が長いようで短く感じる映画だと思います。
前作は観ておいた方が楽しめますが、本作だけでも十分に見応えはあると思います。
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