世の中には、40歳定年制という言葉があるらしい。かなり前からキーワードになっているようで、65歳に定年が引き上げられている方向からすると、ショッキングなキーワードになるため、”75歳まで元気で働くための”「40歳定年制」という形でマイルドにしているようです。
75歳まで元気で働くための「40歳定年制」
引用元:
言葉はショッキングで、通常受け入れられないようなキーワードですが、人生の真ん中で一区切りして、そこから第二の人生を歩んでいきましょう。
というのが主旨(らしい)
とっくの昔に40歳を経過している私が思うに、理にかなっていると思います。(実感)おそらく40歳近辺という年齢は、1つのターニングポイントと成り得る年齢です。
サラリーマンであれば、経験や実体験してきたことがスペシャルな技能として身についている年齢だと思います。これから、その技能を活かして会社の役に立つも良し、独立して、社会の役に立つというこも良しな年齢です。
住宅ローンや教育費なども、さほど心配がなく「一旗挙げる」という感じで独立への希望が湧いてくる年齢でした。(私の場合は今でもですけれど)
40歳定年で得たもの・失ったもの
実際に「40歳定年」をした人を見つけました。
「40歳定年制」は、東京大学大学院の柳川範之教授が提唱している考え方で、国家戦略会議の中でも提言されています。
「40歳でリタイアしよう」という意味だと誤解されることが多いのですが、そういう意味ではなく「75歳くらいまで生き生きと働くために、40歳くらいでいったん区切りをつけよう」という提案なんです。
人生100年時代、75歳まで働くとすれば40歳時点でも、まだ35年もの期間を働くことになります。一度、40歳くらいで立ち止まり、これからのライフキャリアについてじっくりと考える時間を確保しましょうということです。
引用元:
https://www.lifehacker.jp/2018/04/what-get-and-lost-for-retirement-40-years-old.html
10年勤めた在フィジーの会社を志願退職して、残りの人生を家族揃って、フィジーで暮らせるなんて夢のような生活だと思いました。
しかし、この方もいきなりフィジーで暮らしている訳ではなく、10年間という時間を掛けてフィジーで暮らすスペシャルな技能を身に着けたから出来た「40歳定年」です。
40歳定年で失ったもの、「固定収入」、「肩書き」、「同僚たちとの協業タイム」が挙げられていて、得たものとして「家族との時間」、「学びの時間」、「趣味の時間」、「移動の時間」、「服装の自由」、そして「健康」と数だけみれば、得たものが多いという結果になっていました。
踏み出せない失う恐怖
記事を読んでみて、私も含めて、やっぱり「固定収入」を失うことが一番の恐怖になるはずです。「肩書き」や「同僚たちとの協業タイム」は、私の場合、失ってもそんなに恐怖ではありません。
これを上回る得るものさえ考え付けば、私も「40歳定年」に乗れると思うのですが、「家族との時間」、「学びの時間」、「趣味の時間」、「移動の時間」、「服装の自由」、そして「健康」の、どれをとっても「我慢する」に行き着いてしまっている自分が居ます(笑)
現状維持の重力
あまり「諺(ことわざ)」は得意ではありませんが、次の言葉を思いつきました。
「No pain, no gain(痛みなくして、得るものなし)」、「皮を切らせて肉を切る」、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
今回の場合、「痛みなくして、得るものなし」が一番相応しい言葉です。パートナーや子供のことの幸せを考えてしまうと、どうしても「現状維持の重力」に縛られます。
自分が傷つくことは我慢できても、他の人(奥さんや子供)が傷つくのを見ることは誰でも嫌なことです。
ただし、今の現状が将来続く保証すらないのに、1歩踏み出すことを考えるとなぜか「現状維持」から抜け出せなくなってしまう考えになるのも、人間として生まれてきた性なのでしょうか?
私は、この現状維持の重力に打ち勝てる「得るもの」を探し続けて行きます。
スポンサーリンク
最後までご覧いただき、ありがとうございます。